投稿者
  題名
  内容 入力補助<OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ | 画像 ]

投稿募集! スレッド一覧

  1. ぽろりっ(0)
  2. 全力全開(0)
スレッド一覧(全2)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

[PR]  FX投資   
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ みんなの掲示板 ] [ 無料ブログ ] [ チャット ]

全204件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  |  《前のページ |  次のページ》 

脳死・臓器移植を主題とした能「無明の井」 4月21日、国立能楽堂で上演

 投稿者:もりけん  投稿日:2012年 3月26日(月)20時57分22秒
   脳死・臓器移植を主題とした新作能「無明の井」が4月21日、東京の国立能楽堂で上演されるそうです。14:30開演(14:00開場)。
 免疫学者の故多田富雄氏による1991年の作品で、多田氏の三回忌追悼公演でもある。公演のチラシはhttp://atelierkashu.com/images/schedule/2012042101/flyer.pdf

 「無明の井」の粗筋は、脳死状態で心臓を摘出した男の霊と、レシピエントの女の霊が邂逅し、互いの苦しみを語るとのこと。

 能の公演以外に、生物学者の福岡伸一氏が『生命と動的平衡』を基調講演し、さらに能楽ジャーナリストの柳澤新治氏と演出家の笠井賢一氏による対談『多田富雄の新作能をめぐって』が行われます。
 

(無題)

 投稿者:ふつうの者  投稿日:2012年 2月19日(日)13時20分18秒
  ●コーディネーターが家族と話合いをされる時の記録について可視化が絶対必要と思われると述べたが、リスク管理からすれば当然の事であろう。
いずれ係争となる事案が出てくる可能性は否定できないから。
本人以外で決めるんだよ!・・・記録に反対の人は行動するなよ!

●コーディネーターはどうやって資格を得るのか・・・国家資格ならともかく・・・

●もう一つ、たまに臓器移植での募金をつのっている方がおられるが、否定はしないが何か考えてしまう・・
募金に踏み込めない方もいる。
募金をした方は多額を集める事となる。はたしてご自身(家族)の財産をも処分されての事なのか・・・募金により海外で手術をし、自身の家が残っている・・・不合理と思えないだろうか・・・
 

臓器移植ネットワークのドナー候補者家族騙し文書の意味

 投稿者:もりけん  投稿日:2012年 2月14日(火)22時50分51秒
   反論になるのかなぁ、ふつうの者さん。
 ふつうの者さんは、臓器移植コーディネーターの心理について書かれている。確かに、臓器移植コーディネーターになろうと決意した時から、一定の考えをお持ちのはずです。その心理が、ドナー候補者家族への接し方に影響することは当然ありうる。その範囲では、可視化は必要と考えることもできる。

 しかし、日本臓器移植ネットワークのドナー候補者家族に対する説明文書「ご家族の皆様方にご確認いただきたいこと」http://www.jotnw.or.jp/studying/pdf/setsumei.pdfが、必要な説明をしていないことは、これは各臓器移植コーディネーターの個人的な心理にかかわることではない。
 日本で唯一の臓器斡旋機関が、意図的にドナー候補者家族を騙す計画で、長年にわたり不適切な文書を用いてきた、という問題です。これは可視化で済むことではありません。
 

(無題)

 投稿者:ふつうの者  投稿日:2012年 2月14日(火)12時28分51秒
  臓器コーディネーターについて

家族と話合いをされる時、心理としては「臓器を待っている方がいる・・・」という事が頭にあると思う
公平な心で・・・なんていったって、ひじょうに難しいのではなかろうか
そもそも、コーディネーターの資格が命に関わる事なのに、困難な国家資格でもないと言う事が問題であろう
また、コーディネーターが家族と話合いをされる時の記録について、可視化が絶対必要と思われる
お互いのために・・・これに反論される理由など皆無と思いたい
 

臓器移植コーディネーターは、ドナー候補者家族の説得役ではない、騙す役である

 投稿者:もりけん  投稿日:2011年12月20日(火)21時39分10秒
  2011年11月30日の朝日新聞マイタウン山梨
http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000641111300001 に山梨県臓器移植コーディネーターへのインタビューが掲載されています。

 下記の応答がポイントと思います。
・・・・・・・・
県内唯一のコーディネーター 小林真澄さん

 ■家族の説得役ではない

 ――接する際に心がけていることはありますか。

 私の立場は、ドナーになるよう家族を説得することではありません。「移植がどんなものか、わからなくて怖い」など、知識が不足している家族に説明して、理解していただき、そのうえで最終的に家族に判断してもらいます。
 机で向き合って家族と話しているうちに、患者さんの趣味や考えに話が及ぶことがあります。そうした一見関係ない話の中でポロッと、「そういえば、あの時、臓器提供について話していた」ということが出てくることがあります。そういう瞬間に、家族と本音で話ができたかなと、うれしさを感じます。
・・・・・・・・

 小林コーディネーターは、臓器提供につながるドナー候補者のエピソードが出てきた瞬間に、うれしさを感じた。

 またhttp://www6.plala.or.jp/brainx/2006-10.htm#20061026 に書いてありますが、日本臓器移植ネットワークのドナー候補者家族に対する説明文書「ご家族の皆様方にご確認いただきたいこと」http://www.jotnw.or.jp/studying/pdf/setsumei.pdf はヘパリンの投与が血液凝固を阻止する目的であることは説明しているが、ドナーに不利益となることは一切記載していない。
 このことから群馬大学医学部付属病院の脳外科医9名は、「コーディネーターのコーディネートが不完全で安心して任せられない、死体腎移植では法律の規定がなく主治医の判断が非難にさらされる可能性がある、その判断の中で特に腎臓保護の目的で出血性疾患にヘパリンを使用する事、・・・脳外科医としてはリスクばかりが増えてしまうので出来れば関わりたくない」と公然と発表した。

 確かに臓器移植コーディネーターは、家族の説得役ではない。ドナー候補者家族を騙す役であることが実態でしょう。
 

11月13日、シンポジウム「このままでいいのか!改定臓器移植法のこれからを考える」

 投稿者:もりけん  投稿日:2011年10月23日(日)09時17分39秒
   以下は、臓器移植法を問い直す市民ネットワーク主催シンポジウムのお知らせです。


 臓器移植法改定後、家族承諾のみの「脳死」者からの臓器摘出が、53件(9月末現在)行われました。
 しかしながら、日本臓器移植ネットワークからは、自殺した少年からの臓器摘出の経緯や脳死に至った本当の原因など、多くの重要な情報がいまだ公表されていません。こうして、本人の同意なく臓器を摘出することを認めるこの法は、多くの問題を生み出しているのです。その一方で、移植先進国である米国では、より効率的に「脳死」者を生み出すための新たな策が講じられており、私たちのからだを「モノ」として利用しようとする流れは、とどまることを知りません。
 本シンポジウムでは、以上のような問題を各分野の識者に提示していただき、討議を行います。今まさに、私たちの目の前にある危急の問題として、一緒に考えてみませんか。 多くの方々の参加をお待ちしています。

日時:11月13日(日)午後1時30分~4時50分(1時開場)
会場:港勤労福祉会館 第一洋室(1F) 東京都港区芝5-18-2
交通:JR山手線、京浜東北線 田町駅西口徒歩5分。地下鉄浅草線、三田線 三田駅A7出口すぐ
資料代:1000円
主催:臓器移植法を問い直す市民ネットワーク


パネラー
浅野健一(同志社大学教授、元共同通信記者)
光石忠敬(弁護士)
小松美彦(東京海洋大学教授、生命倫理)
司会:山口研一郎(脳神経外科医)
総合司会:川見公子(臓器移植法を問い直す市民ネットワーク)


プログラム(予定)
13:30  開会、主催者あいさつ
13:40  シンポジウム開始(司会:山口研一郎さん)
13:45-14:15 浅野健一さん「マスコミが隠ぺいする脳死移植の現在」
14:15-14:45 光石忠敬さん「改定臓器移植法は施行停止するべきである」
14:45-15:15 小松美彦さん「アメリカの最新動向と改定法成立への疑問」
15:20-15:30 休憩
15:30-16:45 会場からの質問、意見交換
16:45  まとめ
16:50  閉会

 シンポジストのプロフィールは、同ネットワークのブログhttp://pub.ne.jp/abdnet/?entry_id=3959639
 

「脳死・臓器移植Q&A ドナーの立場でいのちを考える」掲載 50のQ&A

 投稿者:もりけん  投稿日:2011年10月 9日(日)19時22分25秒
   臓器移植法を問い直す市民ネットワーク編著「脳死・臓器移植Q&A ドナーの立場でいのちを考える」の“はじめに”と50のQ&Aが、http://pub.ne.jp/abdnet/?cat_id=117373 に掲載されましたのでお知らせします。  

書籍

 投稿者:森岡正博  投稿日:2011年10月 8日(土)16時10分48秒
  下記の本、期待しています。  

「脳死・臓器移植Q&A ドナーの立場でいのちを考える」、10月中旬発売開始

 投稿者:もりけん  投稿日:2011年10月 6日(木)23時25分30秒
   海鳴社から、以下の単行本が来週発売されますのでお知らせします。


脳死・臓器移植Q&A ドナーの立場でいのちを考える
http://www.kaimeisha.com/index.php?%E8%BF%91%E5%88%8A

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク編著/46判並製 224頁/本体価格 1800円/
ISBN 978-4-87525-284-9


「脳死って人の死ですか」「子どもの脳死と大人の脳死は違うのですか」「脳死という言葉はいつから使われるようになったのですか」「脳死の人が感染症にかかっても、自分の免疫力で回復するって本当ですか」「脳死とされる女性が、赤ちゃんを産むこともできるのですか」「脳死の人から臓器を摘出するとき、麻酔をかけるのですか」「救急医療が万全なら脳死にならなかったのでは?」「移植をしたら本当に健康になれるのですか」「法律で何が変わったのですか。臓器移植法は命を助ける法律ですか」「外国では虐待された子どもの臓器も取られているのですか」など、市民の素朴な疑問から生まれた書。Q&A方式により、誰もがわかるよう、平易な言葉で解説している。脳死・臓器移植問題を根本から考えるためのテキストとしても最適。
 

7月18日に最首 悟氏の講演「いのちへの作法-自殺者からの臓器摘出は許されるのか?」、豊島区民センター

 投稿者:もりけん  投稿日:2011年 6月21日(火)21時56分56秒
  -市民の集い-
改訂臓器移植法施行から一年をふりかえる
少年自殺者からの臓器摘出は許されるのか?

 2010年7月に改訂臓器移植法が全面施行されてからまもなく一年。この間、家族承諾のみの脳死下臓器提供は48例(2011年6月16日現在:他に本人同意は5例)にのぼります。そして、2011年4月12日、日本臓器移植ネットワークが、「交通事故による頭部外傷の治療を受けていた少年が家族の承諾により脳死と判定された」と発表しました。
 国内初の子どもの法的脳死判定・臓器摘出は、十分に慎重でなければなりません。しかし、これまでに、事故の詳細や少年への救命治療、臓器を提供するに至った経緯などの重要な情報は、全く明らかにされていません。そのような中、4月21日の『週刊文春』に、脳死判定された“少年”が「事故死ではなく自殺だった!?」という記事が掲載されました。少年が自ら命を絶ったのであれば、その原因や背景などを含めた綿密な調査がなされるべきでしょう。けれど、少年が脳死ドナーとなった途端に全ての情報が閉ざされ、真実が闇に葬られる危険性があるのです。
 本集会では、改訂後1年間に浮上してきた問題として、自殺した少年からの臓器摘出にまつわる倫理的問題と、脳死・臓器移植に関する情報公開のあり方に焦点をあて、講師を招いて議論したいと考えています。皆さまのご来場をお待ちしています。

日時:2011年7月18日(月・休日)13:30~16:45(13時開場)

会場:コア・いけぶくろ(豊島区民センター)5階音楽室
交通:JR池袋駅東口から徒歩5分

講演:最首 悟さん(和光大学名誉教授・生物学)、著書に『星子が居る』(世織書房)共著書『生命ー人体リサイクル時代を迎えて』(緑風出版)

講演タイトル:「いのちへの作法-自殺者からの臓器摘出は許されるのか?」

討論:改訂臓器移植法施行1年を振り返って

資料代:1000円

主催:臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

地図記載の講演会案内チラシ(pdf形式・310キロバイト)はhttp://fps01.plala.or.jp/~brainx/abd20110718.pdf
 

脳死と臓器提供

 投稿者:てるてるメール  投稿日:2011年 4月17日(日)12時39分43秒
  どうも、もやもやしたままで、はっきりしない。

脳死になるような高度な医療を受けた場合、
自動的に臓器提供について考える義務が生じるのか、どうか。

たとえば、

本来、そんな義務はない。

たとえ脳死になっても、何も臓器提供について打診などされず、
そのまま、まるごと、死んでいくのがふつうであたりまえである。

ただ、移植医療によって救われる人がいるから、
そういう人たちについて考えて臓器提供してもよいと決めた人は、
事前に臓器提供をするという意思表示をしておくとよい。
あるいは、それについて考えたがやめておくという場合も意思表示をしておくとよい。
何も考えていない人や、決心のつかない人は、
そのまま、まるごと、死んでいけばよい。

という考え方は、以前の臓器移植法のもとでは、はっきりしていたと思います。

もっとも、人工呼吸器をはずして腎臓などの摘出をする「心停止下移植」は、
家族同意だけでもおこなわれていました。

しかし、現行の臓器移植法のもとでは、

本人が事前に意思表示していなかった場合、
脳死の患者の家族が、
人工呼吸器をはずさないで心臓などの摘出をする「脳死下」での臓器提供について、
考えることを求められている現実を受け入れるならば、
人は、脳死になるような高度な医療を受けた場合、
自動的に臓器提供について考える義務が生じている、と考えざるを得なくなる。

脳死になるような高度な医療とは、集中治療室でしか、おこなわれない。

ならば、そもそも集中治療室に入るかどうかについて、考える必要があるのでは?

という問題は、現実的ではない。

なぜなら、集中治療室があるような病院がある地域では、
それを利用しないという選択肢はありえない。

集中治療室に入った場合、大部分の患者は、脳死しない。

ごく一部の患者だけが、脳死する。

もしその反対で、大部分の患者とか、あるいは、半分ぐらいの患者とかが、
脳死するとしたら、それはもう、医療の名に値しない。
集中治療室は霊安室の一歩手前でしかないことになってしまう。

医療の名に値する、治療実績のある集中治療室があるならば、
そういう病院が地域にあれば、交通事故などのとっさの場合に、
それを利用しないという選択肢はありえない。

突然、病院に受け入れきれないほどの大量の患者が発生した場合とかを除いては。


で、集中治療室に入って、不幸にして、ごく一部の、
脳死の患者になってしまったとする。

その場合、あらかじめ、本人が、そうなった場合を想定して、
臓器提供するかどうかについて考えて意思表示をしておかなかった場合、
家族がそれについて考えることは、義務なのか。
そもそも、本人が、そうなった場合を想定して考えておくのは、
義務なのか。

そんな義務はどこにあるのか。

本人に、臓器提供についてあらかじめ考えておく義務がないならば、
家族が、本人が脳死になってから、
本人の意思表示がないからといって、
臓器提供について考える権利や資格や義務があるのかどうか。

移植待機患者の立場からいえば、あるいは、移植待機患者の家族の立場からいえば、
あるいは、移植待機患者の命を救いたい医師の立場からいえば、
義務がある、としたい。

でも、そんなことを言うと、反発されるから、
家族には脳死患者の臓器提供について考える
資格がある、とか、権利がある、とかの、言い回しをする。

マスコミも、それに合わせて、婉曲に、しかし、
多くの移植待機患者がいる、とかの、
効果的な心理的圧迫を付け加えて、報道する。

多くの移植待機患者の命を救おう、という人道的な配慮から。


脳死という状態は、少なくとも数日間は続くし、数週間、数か月に及ぶことがある。

だから、その間に、脳死の患者の家族は、たっぷり考える時間がある。

その間、ゆっくり、移植コーディネーターが付き添う……のは、原理的に、
脳死という高度な医療を受ける患者は臓器提供について考える義務があるが、
事前にその義務を果たしていない場合は家族が代行する、
という前提があってこそ許されるのではないのか。

もし、そういう前提がないならば、本来は、
脳死の患者の家族にゆっくり付き添うのは、移植に関係のない、
心理カウンセラーやケースワーカーなどであるべきはずだ。

移植コーディネーターが登場するのは、かなり後になってからでいいはず。

少なくとも最初から登場するのはおかしい。

でも、現実には、かなり早くから登場することがある。

移植コーディネーターは、
まだ患者が脳死しないうちから、脳死しそうな患者がいる、
という情報が届くのを待っており、
脳死しそうな患者の報告が届くと、患者や家族についての情報を集め、
いよいよ脳死した、という報告をきくと
いよいよ、アップを始め、
主治医がそのことを患者の家族に話した、
主治医が移植コーディネーターの話をきくか打診した、
家族が承知した、
などの報告が続くのを待って、出動する。

脳死の患者が発生したら移植のための臓器提供について打診するシステムが
構築されているという、この現実について、よくよく、はっきりと見据えて、
起こっていることを明確にして考え直そうとするならば、

脳死という高度な医療を受けたら、
臓器提供について考える義務が生じるのかどうか。

それについて議論するべきではないのでしょうか。

あのなんとか教授のなんとか白熱教室みたいに。

誰も、脳死になったら臓器提供「する」義務が生じる、とは言わない、

でも、どこの国も、家族の承諾で臓器提供をおこなえるところをみると、
暗黙のうちに、脳死になったら臓器提供「について考える」義務がある、
ということにしているみたいに見えます。

暗黙のうちに、というところがこわい。

はっきり、口に出して、それでいいのかどうか、議論するべきです。

議論の結果が、どういう方向に行くにしろ。
 

脳死移植の霊的真実について

 投稿者:白蓮  投稿日:2011年 4月15日(金)11時15分0秒
  未成年の子供達は、だいたい両親の庇護のもとにあるわけですから、両親の責任は重いわけであります。

とりわけ、未成年に限らず、肉体と霊体のつながり等に関しての人の死の本当の死に対して霊的知識が無知ゆえに、脳死を人の死とし、臓器移植ができることの異常性に気が付かないのであります。

いくら、法律で合法化されても、神仏の真理から述べれば、悪を犯している行為になってしまいます。

悪を行なっている行為に良心の呵責があれば、脳死移植は、神仏の真理からいって正しくないと思って、脳死移植をとどまることで、真理的観点の悪しき行為は止められますが、良心の呵責の無い人たちにとっては、無知無明の真理の智慧の明かりがないからです。

脳死移植を善いことのように錯覚して、脳死移植をどんどん進めれば、脳死移植で臓器を取られて死んでいった患者たちは、無慈悲な生贄の状態で、断末魔の激痛と戦い迷いの中にやるせない怒りと恨み心があって医師達に「まだ生きているのに、なぜ勝手に臓器を取るんだ!!」と臓器を取られた人は、そこで時間が止まって、過去の断末魔の痛みを抱えて、あの世の地獄界で生きることになります。

肉体と霊体は、霊子線でつながっていて、心臓が止まって24時間くらいで、霊的真実として本当の死を迎えると、肉体と霊体が分離して霊子線が切れた時本当の死を迎えます。

まだ、心臓が動いている段階で脳死であっても霊的真実から言えば、まだ生きているので、肉体
の激痛の衝撃は霊体にも激痛として伝わってまいります。

家族の合意で脳死の臓器移植をすることは、殺人罪と同じように、多くの悩乱と迷いと多くの神仏の真理に反した多くの罪を積み重ねることになります。

自己申告して脳死による臓器移植してもよいとしたならば、自分の無知ゆえに決めたことですから、自己反省もできますが、脳死移植の自己申告並びに家族の合意は、善なる行為ではなく、神仏の真理価値に反する悪なる行為となります。

よって、悪の行為と迷わせた行為の罪が積み重なってしまいます。
殺人を犯してこの世の刑罰にかからなければ、あの世の神仏の法で裁かれて、あの世の地獄界に堕ちてしまうでありましょう。

多数決で、本当の意味の死を間違いなく決まるわけではありません。
本当の意味の死を論じ判断を下すのは、神仏の御心に適った宗教家の役割であります。
ですから、神仏の御心に適った宗教家の教えに謙虚に学び従うことであります。

あくまでも私的見解であります。
 

子どもの脳死移植 なお慎重な見極めが必要だ

 投稿者:akvo  投稿日:2011年 1月30日(日)13時11分7秒
  子どもの脳死移植 なお慎重な見極めが必要だ

特集社説2011年01月30日(日)付 愛媛新聞

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201101301046.html

(転載貼付け開始)

子どもの脳死移植 なお慎重な見極めが必要だ

 脳死に近い状態の子どもの家族から臓器提供の意思を受け、改正臓器移植法に基づく一連の手続きが行われた。後に家族の撤回で提供には至らなかったが、手続きにまで進んだのは18歳未満としては改正後初のケースとなる。
 子どもの脳死移植は、昨年7月施行の改正法で可能となったが、18歳未満は虐待を受けてない確認が必要だ。手続きをした病院によると、虐待の照会をした児童相談所から「診療目的でない」と、回答を得られなかったそうだ。
 今回のケースは、子どもの臓器移植が大人とは次元の違う難しさを抱えている現実を浮き彫りにした。重い教訓としなければならない。
 子どもはほぼ脳死状態で家族が臓器提供を相談。病院の虐待防止委員会で虐待はないと判断し、家族が日本臓器移植ネットワークに心停止後の提供を希望。病院は倫理委員会で院内マニュアルを整備しその後、家族が提供意思を取り下げたという。
 揺れ動いた家族の気持ちを思うと、改正法の功罪をあらためて考えざるを得ない。
 改正法施行以来、脳死移植件数は大きく伸びた。改正後の半年で29件となり改正前の約6倍で推移。患者側には、やっと社会的に受け入れられつつあるとの実感もあろう。
 そんな中で今回、病院や児童相談所、警察など関係機関が連携できなかった。移植普及への大きな課題だ。
 脳死移植にはいまだに賛否の声がある。移植ネットによると、昨年末の臓器提供意思登録者数は8万9031人と社会的な認知度も低い。
 また、これまでの移植例を振り返ると、透明性が担保されているとは言えない。病院名や脳死判定の手続きを明らかにせず、あるいは家族とのやりとりなどを把握していないケースさえあった。
 移植のたび情報公開をめぐり議論される状況から脱皮しなければ、脳死移植の定着には遠い。救命治療の内容や家族との話し合い。そうした情報を社会で共有してこそ移植の意義は定着するはずだ。

(転載貼付け終わり)


akvo 拝
 

やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会(2月19日・大阪市)

 投稿者:もりけん  投稿日:2011年 1月11日(火)20時07分4秒
   2月19日(土曜日)に、下記の集会が大阪府商工会館にて開催されますのでお知らせいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
知っていますか!臓器摘出の際に、ドナーに麻酔や筋弛緩剤を使っていることを!
「脳死」と宣告された患者に、外部の話が聞こえていたという報道もあります。

やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会
日時 :2011年2月19日(土)13:30~16:30(開場13:00)
会場 :大阪府商工会館7階・第2講堂
参加費:500円
交通 :地下鉄(御堂筋線・中央線・四つ橋線)本町駅下車17番出口(17番出口が、大阪府商工会館の地下1階につながっています)

 「脳死」は人の死ではありません。
 多くの子ども達が、「脳死」と判定された後も生き続け、成長しています。「脳死」判定後に、自発呼吸や脳波が復活したケースも報告されています。「脳死」状態の患者は、周囲の人たちが見守ってこそ、生への望みがあります。臓器提供を早まらないで!見放さないで!生き続けようとしている救急患者の家族として!

◇講演:小松美彦さん(生命倫理会議代表、東京海洋大学教授「科学史・生命倫理学)=「脳死は人の死ではない」
◇報告:冠木克彦さん(弁護士)=「昏睡・瞳孔散大の患者が周囲の話を聞いていた」
◇報告:「脳死」から生還したアメリカの事例
◇報告:「脳死」を宣告されてから3カ月以上生存した幼児ほか

主催:集会実行委員会
参加団体:「脳死」臓器移植に反対する関西市民の会・医療を考える会・人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)・阪大病院「脳死」と臓器移植の問題を考える会・阪南中央病院労働組合・「脳死」臓器移植による人権侵害監視委員会
連絡先:冠木法律事務所(06-6315-1517)、脳死110番常設電話番号:06-6315-7278(「脳死」臓器移植による人権侵害監視委員会事務局
 

再び森岡正博さんへ

 投稿者:あさいつとむメール  投稿日:2010年11月27日(土)11時50分31秒
   返信していただき感謝します。掲示板で議論するのは限界があるでしょうが、あなたが言われることに絡めて、もう一度ぼくの考えるところを述べたいと思います。
 このやり取りでぼくが感じたのは「あちらから一方的にやってくる」という言い回しに対してあなたが強いこだわりを持っておられるということです。「あちらからやってくるものがある」としても、すべてがそれに「還元」されてしまうと、「こちら」の主体性が損なわれてしまうのではないかという危惧と言えばいいでしょうか。
 しかし「あちらから一方的にやってくる」としますと、「こちら」の主体性が危機に瀕するのでしょうか。そうは思いません。むしろ「あちらから一方的にやってくる」からこそ、「こちら」の主体性が成り立つのではないでしょうか。
 もし「あちら」と「こちら」は相互に与えあう関係なのに、「あちら」から一方的に与えられるだけとしますと、与える「あちら」は与えられる「こちら」の上に立つことになり、「こちら」の主体性が危うくなります。「こちら」は「あちら」に依存する関係になるからです。でも「あちら」と「こちら」はそのような相互に与えあう関係ではありません。「あちら」から「こちら」に与えられるしかなく、逆に「こちら」から「あちら」に与えることはないのです。
 そして「あちら」にも「こちら」に与えているという意識はありません。ただ「こちら」が「あちら」から与えられていると感じるだけです。「あちら」に「あなたが与えてくれたのですか」と問いただすことができたとしても、「いいえ、滅相もない」という答えが返ってくるはずです。もし「あちら」に与えているという意識があるとしますと、「こちら」は何かが求められているように感じ、お返しをしなければと考えてしまいます。これが普通の与えあう関係です。
 ツアー旅行で仲良くなった方から「畑で野菜を作っていて食べ切れないから送ってあげる」と約束され住所を交換しました。そして旅行から帰って何日かして段ボール箱一杯の野菜が送られてきました。こうなりますと「さて何かお返ししなくちゃ」と思ってしまいます。相手は「余っているものをあげただけだから」と言われるでしょうが、もしこちらが貰って当然というような態度をとりますと気分が悪くなるに決まっています。やはり何らかの返礼が必要でしょう。
 これが普通の「与える」です。でもいま検討している「与える」は、「あちら」には与えているという意識がないのに、「こちら」は与えられていると感じるのです。「こちら」は与えられていると感じても、「あちら」には与えているという意識がありませんから、お返しをするわけにはいきません。そんなことをしたら「どうして」と訝しく思われるだけです。こうしてただ与えられるのです。そしてそれがこころに染みます。こころに染み、身に染みて、それが生きる力となるのです。
 

あさいさんへ

 投稿者:森岡正博  投稿日:2010年11月22日(月)22時02分37秒
  コメントありがとうございます。掲示板ではちゃんとした議論はできませんが、一言だけ反応しておきます。「あちらから」やってくるものがあるということが成立した瞬間に、あちらからやってきたものを受け止める「こちら」が生成しています。この「こちら」は「あちら」には還元できず、またこの「こちら」は、「こちらから読み込む」というような主体とも異なります。この点を同意していただければ、私はハッピーです。では。  

埋め込み型人工心臓

 投稿者:akvo  投稿日:2010年11月20日(土)16時07分9秒
  埋め込み型人工心臓 諏訪の企業開発製品が承認へ

http://www.47news.jp/news/2010/11/post_20101120115836.html


akvo 拝
 

森岡正博さんへ

 投稿者:あさいつとむメール  投稿日:2010年11月19日(金)22時00分10秒
   ぼくの勝手なお願いに応えていただき感謝します。その中であなたは「一方的に“こちらから”ではないが、だからと言って一方的に“あちらから”でもない」と言われます。それは議論が必要だと。そこでぼくの思うところをもう少し述べさせていただき、あなたのお考えを伺わせていただければ幸いです。
 まずお断りしておかなければなりませんのは、ぼくは真宗の教義からものを言っているのではないということです。ぼくは親鸞の他力思想には大いに関心がありますが、彼の教えを絶対視しようとは決して思いません。あなたもどこかで書いておられたと思いますが、ぼくは「すでに絶対の真理が説かれている」という立場に立つものではありません。それを宗教的立場と言うのであれば、そういうところからできるだけ離れていたいと思っております。
 さて問題は「脳死の人との対話」です。脳死状態となった肉親との間で濃密な対話が行なわれることをどう理解したらいいかということです。対話である以上、一方的に“こちらから”でも、一方的に“あちらから”でもないのは言うまでもありませんが、問題はそこにあるわけではありません。もう脳の機能が停止してしまっているのに、どうして対話が成り立つのかと問うとき、ぼくらは“こちらから”脳死の人を捉えようとしています、「脳死の人とは何ものか?」と。ぼくはここに問題を感じるのです。「脳死の人から不思議な声がするのだが、一体この声は何だろう」と“こちらから”その正体を捉えようとしても、どうにも捉えられません。「アキレウスと亀」のパラドックスのように、決して追いつけないのです。あるいは自分の影を踏もうとするのと同じで、近づいただけ逃げていく。
 ベクトルの向きが逆ではないでしょうか。“こちらから”不思議な声を捉えるのではなく、“あちらから”やってくる不思議な声に捉えられるのです。ぼくは電話が苦手で、よんどころない用事があるとき以外はできるだけ電話をかけないで済ませるのですが、どうしても電話せざるを得ないときがあります。それは向こうからしきりと声がするときです。ある人の顔が浮かんで、何かを言ってくる。それは耳に聞こえる声ではありませんが、紛れもなくぼくに呼びかけています。それに応えざるをえなくてぼくは受話器をとります。ですから、そのときぼくは「もしもし」と呼びかけますが、実は向こうからの呼びかけに「はいはい」と応えているのです。
 あるいは道で誰か知らない人とすれ違うとき、思わず「こんにちは」と声をかけることがありますが、それはその人から「こんにちは」と聞こえてきたからではないでしょうか、耳には聞こえない声で。見知らぬ人からの「こんにちは」が心地よくて、思わず「こんにちは」と返してしまう。そのとき、この心地よい声は何だろう、どこからやってくるのだろうと詮索するでしょうか。こちらからその声の正体を突き止めようとするでしょうか。確かにその人の口から出たのではなく、不思議と言えば不思議ですが、でもその声が自分のこころにズシンと届いたことは疑いありませんから、この声は何だろうという問いは不要ですし、現にそんなふうにこころは動きません。
 

無題

 投稿者:森岡正博  投稿日:2010年11月18日(木)22時48分27秒
  忙しさに追われ、こちらのチェックを怠っておりました。ずっと下の方で私にご質問されたあさいさん、あさいさんのご指摘の内容と同じことを私は言おうとしていました。それが伝わらなかったのは私の話し方の稚拙さでしょう。ペルソナはこちらから一方的に見ようとするものではありません。ただし一方的にあちらから来るものとかどうかは議論が必要と私は思います。真宗ではあちらから100%ということに教義上なるかもしれませんが。  

科学にも民主主義を

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年11月15日(月)11時42分45秒
  品行方正な日本人達が批判している、2チャンネルでも「臓器移植の掲示板」はかなり真面目な議論が行われている、横文字、専門用語、カタカナ文字など、あまり使っていないし。
ある本に「科学技術(医学技術も)は、今迄出来なかった事を出来るようにする」事を目標
にして、それを進歩とか成果と言うが、一つ大事な事を忘れている場合がある。
それは、その新しい技術を使って良いかどうかを検討する事だという事である、特にそれが
人間や自然に影響を与えそうな場合は徹底的に民主的な手続きを経た上で行うべきだ。
臓器移植法や改訂法の国会での討議の議事録を読んでも、各種の審議会、研究会等の議事録
を読んでも、当事者しか分からない専門用語や、カタカナ辞典にも書いてない「横文字」が飛び交っていて、医学者や法律家ではない一般の国民を完全に置き去りにしている。
要するに「新、旧臓器移植法」は、民主的議論を省略して、国民の了解を得ないままに作られた法律である、と言う事だ。
インフォームド・コンセントと言う言葉があるが、日本では「説明して理解して貰う」事らしいが、「必要な事を、充分に分かりやすく説明して、治療方針を承諾して貰う」が正確らしい。
「セカンドオピニオン」もそうだ、いまだに嫌う医師が多い。
 

まささんへ

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年10月18日(月)12時47分39秒
  このような真面目な掲示板で、「以後の『まささん』の投稿に対しては、『無視』が得策と思いますが、如何でしょうか」というような言葉を投げつけてしまい、大変申し訳ありませんでした、お詫びいたします。
今後は堂々と議論を交わしてゆく所存ですので、お許し下さい。
私があなたの言葉を「挑発」と捉えた事に関しては、何処が挑発だと問われても、私がそう感じた、と言うしか答えようがありませんので、あしからず。
私が、臓器不全の人の命についてどう考えているか、と言う事でしたが、この掲示板の下の方でも書いておりますし、「関西市民の会」の「投稿メール4」でも「投稿メール5」でも書いておりますので、ご参考下さい。
 

my blog

 投稿者:川と賦しますメール  投稿日:2010年10月18日(月)09時51分54秒
  http://maglog.jp/maiziqi/

ベトナム壜匂卞峅する晩云囂のブログ

http://maglog.jp/maiziqi/

 

思い込みと憶測

 投稿者:まさ  投稿日:2010年10月17日(日)15時53分14秒
  臓器移植、脳死などバイオエッシックスのトピックにおいてポジションで発言する場合、西洋のディスコースでは、キングス・カレッジ・ロンドン(KCL)のブランズワード教授が名づけた「バイオエシックスの三角」(the bioethical triangle)関係を意識します。つまり功利主義、権利基調、義務基調のポジションのことです。これは思考のフレームワークの基本で、森村進教授の「権利と人格」(創文社刊)なども応用倫理を学ぶには非常に参考になります。

この6月にブラウンズワーズ教授と昼食をご一緒した時、日本における臓器移植の状況を聞かれたのですが、日本では去年臓器移植法が改正されたことや、権利基調にこだわる「脳死議論」、制度の不備、発展的議論の停滞などを説明しておきました。その際、先の「三角関係」に触れて、彼は「When we have applied the three positions, we will not have a clear answer to the questions but we can understand more precisely where the rival answers are coming from.」(三つのポジションを応用すれば疑問に明晰な答えはでないだろうが、ライバルの答えがどこから来るのかについてはもっと正確に理解できる)とおっしゃっていました。要するに、バイオエシックスのトピックについて自分の考えを表明する場合は、ライバルの考え方を聞いて理解することは必須だということで、私はこれを当たり前のことと考えていました。それゆえに、トライアングルのフレームから見て、この掲示板には「功利主義」的議論が皆無なので、まず功利主義的ポジションで少し意見を述べ、権利基調のポジションの人からご意見を聞きたいと思ったのです。そして次に義務基調のポジションで、たとえば、コミュニティ論から解答を探したいなあ・・と先を期待したわけです。

残念ながら、「たかはし」という常連投稿者から、

> 以後の「まささん」の投稿に対しては、「無視」が得策と思いますが、
> 如何でしょうか。

という、突然、唖然となる提案が登場して、かなりあきれています。「無視」というのは、中学や高校の程度の低い生徒がやる一種の「いじめ」で、この種のことを森岡正博教授が主宰される掲示板で何の恥じらいもなく、堂々と書ける無神経さに苦笑しています。「たかはし」さんは、非常に思い込みが強い方のようで、私について憶測でのみ一方的に書いておられます。いくつか指摘しておきましょう。

> 彼女はわたしたち「臓器移植反対論」に対して、真面目な、
> 真剣な議論をしようとしているのではなく、

私は女性ではなく「男性」です。また私が発信した二度の投稿のどこに「真剣な議論をしようとしているのではなく」と言える箇所があるのでしょうか。「真剣」だからこそ、礼を失わないように、もりけんさんに質問をしているのですよ。

> 「功利的な概念」、「死んだも同然の人」、「車使用反対論者」、
> 「移植で救われた人は世界に溢れている」、
> 「移植を無くすれば、年間何万人単位の死んでゆく」と言うような、
> 挑発的な言葉を投げつけて、議論を混乱させて>>

私が使用した言葉のどこが挑発的言葉なのでしょうか。表現も普通ですし、事実を述べています。実際、功利的なポジションから見れば、「臓器移植反対論者」の結論は、脳死患者と移植待機患者の両方を死なせることになるわけで、この悲劇に目をつむることはできないでしょう。

「最初は・・・」からのパラグラフで「たかはし」さんは、私を海外に移植を求めて募金活動による臓器獲得を善意のもとで行う「臓器ツーリズム」の賛成者とみなしているようですが、私は「臓器移植の互恵性」(Reciprocity in Organ Transplantation)の観点から厳しく批判する立場にいます。こういう憶測を述べられると非常に迷惑します。先週は非常に忙しく、反論や説明をする時間がとれず、「そうだそうだ、たかはしさんの言う通りだ」と簡単に思いこんでしまう第二・第三の「たかはし」さんが現れるのではと思うと、こうした掲示板で意見を発表すること自体、非常に危険に思いますし、億劫にさえなります。不慮なことに、何か私に取り込み事があって、この掲示板をしばらく見ないということもあり得るわけで、反論もできず、「たかはし」さんの憶測記事にさらされたままになります。憶測を述べる前に、どうして私に直接質問をされないのでしょうか。聞けば済むのに、それを怠り、憶測を垂れ流す書き方はこれだけでなく、「挑発的な言葉を投げつけて」「「炎上」を惹起させようという意図が、透けて見える」という表現にも見られます。しかし、実際、私にはその意図がまったくありません。・・・長くなりますので、あと一つ。

> 友人が移植で救われた事に対する喜びは、
> 溢れるばかりの言葉で表現されていたが、
> 臓器提供者に対する気持を表した言葉は「一語」も無かった。

この文章は、「まさという女性は、人の気持もわからない、冷酷で、配慮もない人間として性格に欠陥がある、臓器移植賛成者はこのような冷たい、人の温かみもわからない人たちなのだ」と決め付けている・・・と理解するのが普通でしょうね。哲学者のジャンケレヴィッチは「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」を定義することで、関係の中の死を概念化、応用しました。二人称とは、肉親、恋人、親友、知人など心情的・精神的に親密な関係があった人たちのことで、二人称の死は当事者にとって大きなショックとなります。私の親友が心臓移植によって「二人称の死」を免れたことは、私にとってとりわけ印象的なことだから、文章にしたわけです。何か問題がありますか。私に配慮がないというのでしたら、臓器移植反対論者の「たかはし」さんは、待機名簿上に載って死と向き合い偶然的に配給される臓器を待つレシピアントに対する気持を表した言葉は、当然、ご自分の過去の投稿に記述されているのでしょうから、ちょっとこの掲示板にご紹介していただけませんか。
 

テレビでも少女へ心臓を、のみ強調

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年10月17日(日)13時20分21秒
  日曜日の関口宏氏が司会をしているテレビの番組があるが、ここに毎日新聞社の幹部が参加している、そこでもパレスチナの少年からイスラエルの少女に心臓移植がされた事を、この人が述べていたが、イスラエル人6人にばらばらにされて移植されたのだと言う事は言わなかった、毎日新聞社はあくまで「美談」として扱いたいらしい、イスラエル軍に殺された息子さんの臓器を、イスラエル人に移植する事への父親を初め家族苦悩を一顧だにしないで、日本での脳死臓器移植の宣伝の一環として利用したいが為に。  

鎌田實氏が「新聞で救われる命」で講演

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年10月16日(土)21時54分27秒
  東京で15日開かれた第63回新聞大会で、鎌田實・諏訪中央病院名誉院長が「新聞で救われる命」をテーマに講演した、と16日の毎日新聞に載っている。
その内容を略記すると。
「新聞を若者や子どもに読んで貰うには、暗い話の間にどれだけ「温かい話」を伝えているかが大事だと思う。」
として、その温かい話とは、「イスラエル兵に撃ち殺されたパレスチナの少年の心臓を、イスラエルの病気の少女に移植するまでの親たちの葛藤や少女の思いについて」だった。
鎌田氏がこの話をどの程度具体的に話したかは分からないが、事件のあった2005年11月の報道を読むと、とても「温かい話」ではなく全く残酷な話である。
鎌田氏はイスラエル軍に殺されたパレスチナの少年の心臓を、殺した敵国であるイスラエルの少女に贈る事に同意した少年の父親、母親、兄弟に優しさがあったから「温かい話」としたのであろうか。
報道を読むとこうである、「11月3日午前10時半頃、イスマイル・ハティブさんの三男アハマド君(12歳)がイスラエル軍に銃撃された、後にイスラエル軍当局は部隊が銃撃され、約130メートル先の武装した男に発砲した、後で見たら本物の銃ではなくプラスチック製の玩具の銃だった、しかし兵士の行動は正当だった、と主張した。」
その後イスラエル北部のハイファ病院に運ばれたが、右側頭部を撃ち抜かれていた為「脳死」状態になった、そこで「臓器提供」という苦渋の決断をした、6人のイスラエル人に移植された、その中の一人が心臓を移植された少女だったのである。
パレスチナの子どもからイスラエルの人に移植される事は珍しかったので、大々に的報道された、しかし何故少年が「脳死状態」になったかは隠されて一切報道されなかった。
しかし依然としてイスラエルとパレスチナの戦争は終わらない、子どもや一般市民の犠牲者は後を絶たない。
幾ら医者であると言っても、臓器移植にだけを取り上げて「美談」にしないで、事件の真相を確認すべきだと思うがどうだろう、日本での8月~10月の連続した家族の承諾による脳死臓器移植も「個人情報の保護」を楯にしないで、真実を検証する必要があると私は考えている、特に「拒否の意思表示」がどんな形であったとしても、本当になかったのかの確認はもっと大事に考えて貰いたい。
 

てるてるさんへ

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年10月16日(土)16時49分33秒
  やっぱり失礼な事だったようです、この掲示板を「脳死臓器移植」専用掲示板ではなく、「脳死臓器移植」反対掲示板と勘違いしていたようです。
もりけんさんからも注意されたばっかりなのに、また誤りを繰り返してしまいました。
てるてるさん、大変申し訳ありませんでした。
てるてるさんは、「臓器移植」は本人の生前の意思に従うべきであり、従って現行の、本人の「拒否の意思表示」が無い場合は、家族の意志による、と言う改訂法には反対である、と言う立場ですね。
てるてるさんは、①、②のカードをお持ちになっている、ですね。
了解しました、お手数をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。
 

たかはしさんへ

 投稿者:てるてる  投稿日:2010年10月16日(土)12時37分34秒
  >「本人が、生前から法的脳死判定を行う事を承諾し、その結果「脳死」と判定されたら、臓器摘出も了解します。」と言う意思表示を、書面で行っていた場合は、脳死・臓器移植を認める、と述べておられました。
>と言う事は、ご本人もその様になさっている訳ですね、「まささん」が書いているように、脳死判定に不手際があっても、死んでもいないのに「脳死は人の死である」と決めた事も理解した上で、(河野さん達は臓器提供の時だけだ、と言ってますが、私は詭弁と考えます、今後の尊厳死の法制化を考えると。)自分の場合も認めて、カードに①としているか、ネットワークに登録しているのですね。

先にお答えしておくと、私は、古い臓器提供意思表示カードを持っていて、
1、脳死後の臓器提供
2、心停止後の臓器提供
両方に〇をしています。保険証やなんかと一緒に持ち歩いています。

昔の厚生労働委員会の議事録かなんかで、脳死後の臓器提供に同意していても、その人が、心停止後の臓器提供に同意していなかった場合、もしも、脳死を経ずに心停止してしまったら、腎臓や角膜はそれでも提供できるのに、できない、とかなんとか、悩んでいる意見があったので、脳死・心停止、両方に〇をしたのです。これでいいのかな、と、いっぺん、日本臓器移植ネットワークに質問しないといけないかもしれないけど……

でも、前の臓器移植法のもとでも、角腎法からの経過措置で、心停止後の腎臓や角膜は家族同意で提供できるから、家族さえ同意すればできないことはなかった。もっともそれは、本人の意思表示を原則とする私としては主義に反しますが。

前にも、ここの掲示板か、スギケンさんの掲示板に書いたと思いますが、私が臓器提供意思表示カードに記入したのは、最近です。

以前は、母親が反対していたから、何も書いていなかったんです。

母親が寝たきりになっても、やっぱり、母親の気持を考えてしばらくは何も書いていませんでした。もし私が脳死となったとしても、母はもう、そのことを認識できないし何も言えないだろうけど。

しかし、うちの母について、私は一度、もしも自発呼吸ができなくなったら人工呼吸器をつけるか、という意味の事を医師から尋ねられたことがあったので、そういう経験から、私自身についても、もしも、臨死状態になったとき、どうしたらいいか書いておいてくれ、と親戚の人から言われて、そういえばそうだった、そういうこともありうる、と思って、やっと、臓器提供意思表示カードに記入したし、その他、延命処置などについてちょっと書いておきました。

もともと、「てるてる案」を作ったとき、末期医療選択カードも作るべきだと主張し、また臓器提供については、おとなの場合は、本人の同意さえあれば、家族の同意は必要ない、と主張していた私が、最近になるまで母親の気持に折れて意思表示をためらっていたとは、と笑われるんじゃないかと思いましたが、まあ、実態はこんなものです、と白状いたします。

「てるてる案」
http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm

しかし、ですね。私は、あなたの質問そのものに、異論があります。

>「本人が、生前から法的脳死判定を行う事を承諾し、その結果「脳死」と判定されたら、臓器摘出も了解します。」と言う意思表示を、書面で行っていた場合は、脳死・臓器移植を認める

「認める」だけで、

>と言う事は、ご本人もその様になさっている

そうしなければ、ならないのですか?

たとえば、家族が脳死臓器提供をする、と意思表示をしていて、それについて、反対しない、という人は、その人自身も、脳死臓器提供をする、という意思表示をしなければならないのですか?

そんなことはないでしょう。家族は家族、自分は自分でしょう。

いやまあ、これを言うと、そういえば最近、家族の脳死臓器提供に同意しているが本人は何も意思表示していない、という人が脳死になってしまって、家族同意での臓器提供がおこなわれたときに、おまえは認めると言っていたではないか、と非難されそうですね。実際、スギケン掲示板でいくつか御批判がありましたね。

そのときもお答えしましたが、原則としてそれは認められないが、どうも、その家族の状況は、それでいいような気がしました。

曖昧ですみません。実際の間近な死の前では、人はいろいろなことを考えたり言ったりしたりすると思います。その結果、家族同意での臓器提供という選択肢が出てくる場合もある、原則だけで割り切れない、と思います。

原則として、私は、あくまでも、本人の意思表示を尊重するべきだとしています。

脳死を死と認める人のなかにも、脳死を死と認めない人のなかにも、現在の脳死判定の精度のもとで、自分自身の脳死後の臓器提供には同意する、という人は、いると思います。そういう人からの臓器提供には反対しません。

再び、御質問に戻って、

>ご家族や友人、知人にカード記入か登録を勧める事はありますか、それとも他人は他人、自分の事は自分で決めなさい、と言う立場ですか。

これも、先にお答えしておくと、私は、家族や友人、知人に勧めたことはありません。

しかしですね、

友人知人が臓器提供に同意しているのを認めれば自分も同意しなければならないのか、いやそうではない、
また、友人知人が臓器提供を拒否していれば自分も拒否しなければならないのか、いやそうではない、
また、自分が臓器提供に反対であれば、友人知人の臓器提供に反対しなければならないのか、いやそんなことはない、
自分が臓器提供に同意であれば、友人知人にも臓器提供に同意するように説得しなければならないのか、いやそんなことはない、

そして、カード記入や登録とは、臓器提供に同意または拒否の意思表示でしょう。それはすなわち、

>他人は他人、自分の事は自分で決めなさい、

ということと同じだと思っています。

自分のホームページでも、おとなにもこどもにも本人の意思表示の機会をと、主張しています。

臓器移植法改正案についての意見交換ページ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/index.htm

しかし、このサイトも、古くなってしまった。長いこと、更新していないので、リンク切れのところもあって、申し訳ない……
 

てるてるさんへお聞きします

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年10月15日(金)21時02分15秒
  以前からお聞きしようかな、今更失礼かなと思っていた事ですが、思い切ってお聞きします、当たり前の事を聞くな、って怒られそうですが、その件については予めお詫びしておきます。
「本人が、生前から法的脳死判定を行う事を承諾し、その結果「脳死」と判定されたら、臓器摘出も了解します。」と言う意思表示を、書面で行っていた場合は、脳死・臓器移植を認める、と述べておられました。
と言う事は、ご本人もその様になさっている訳ですね、「まささん」が書いているように、脳死判定に不手際があっても、死んでもいないのに「脳死は人の死である」と決めた事も理解した上で、(河野さん達は臓器提供の時だけだ、と言ってますが、私は詭弁と考えます、今後の尊厳死の法制化を考えると。)自分の場合も認めて、カードに①としているか、ネットワークに登録しているのですね。
ご家族や友人、知人にカード記入か登録を勧める事はありますか、それとも他人は他人、自分の事は自分で決めなさい、と言う立場ですか。
それとも、前提が違っていて「脳死は人の死である。」と言う立場でしょうか。
私は、すぎけんさんの掲示板に書いたとおり、脳死・臓器移植にも、心停止移植にも反対の立場を取っています、この掲示板に最近書いた通り、何れの場合にも臓器提供は「拒否」です、もしどうしても「臓器移植」を制度化したいのであれば、本人、家族の事前の了解を得た上で、現行の「火葬・埋葬法」に従った形で、医師の「死亡宣告」後24時間以上経過してから臓器を摘出して移植しても正着し、機能する技術を開発してから行う事は反対しません。
今頃こんな事をお聞きして申し訳ありませんでした。
 

脳死・骨髄移植・その他組織利用

 投稿者:たかはし  投稿日:2010年10月15日(金)14時15分55秒
  骨髄バンクも、骨髄ドナー登録不足を盛んに強調しています。
しかし、移植法では「脳死体」からの「組織採取」については、何の規定もありません。
従って、「脳死体」からの「骨髄採取」については、何ら規制がない事から、現在すでに行われているかもしれません、しかし「骨髄移植」には「HLA型一致」と「新鮮さ」が求められます。
その「脳死ドナー」が、骨髄ドナー登録を行っていた人であれば、HLA型について確認する時間は不要です、それに、臓器摘出時「骨髄反射」に困るくらいですから、「新鮮さ」は保証済みと言えるでしょう。
しかし、登録していない「脳死ドナー」の骨髄利用はどうでしょうか、法的規制はありませんから、問題は「HLA型」検査時間に要する時間次第ですね。
赤十字では、輸血用の血液不足も言っております、これも「脳死体」の血液利用が考えられますが、同様に色々な検査に要する時間が課題です。
「死んだも同然の脳死体」の活用は、臓器だけでなく、多くの「組織」があります、しかし「新鮮さ」を要求する「組織」が結構多くあります、その要望に応えるには、「まささん」のおっしゃる、フィクションとしての、いい加減な「脳死判定」を、さらにスピードアップする必要がありますね。
まさに、「坂道を転げ落ちる」と言う表現がぴったりの医療制度が完成する訳ですね、ところで、そうなると「ドナー不足」どころか「レシピエント不足」になりませんか。
前に「神に背いて」とか「神の役割を果たした」とか言ってましたが、そうではなくて、神からローマ法王を通して、患者の「生死の判断」を「医師の専権事項」として認められた事から始まったのです、神は認めても私は認めませんが、と言うよりローマ法王が神の権限を代行する権利を認めない、と言う言い方が正しいのですが。
 

匿名で書ける掲示板は、気楽に応答してはどうでしょうか

 投稿者:もりけん  投稿日:2010年10月14日(木)23時03分12秒
   たかはしさんが10月14日(木)20時57分9秒 に“以後の「まささん」の投稿に対しては、「無視」が得策”と書かれていたので、返信です。この掲示板は、投稿文の総データ量が制限を越えたら、過去の古い投稿から消去される仕様と思いますので「炎上」の心配はないでしょう。また、この掲示板のオーナーは、白黒をつけそうな段階になったら、削除警告を出す方針を採用されている。ということで、私は成り行きは心配しておりません。

 そもそも掲示板には、本音だけの応答で書かれれている場面もあれば、「こう書いたら、相手はどう書いてくるか」という応答のシュミレーション、思考実験的に使われるケースもあると思います。まささんが誰だか知りませんが、もしも挑発する文章を書く人がいても、それは、書いた本人が、そういう人だと評価されるだけのことです。

 私は、匿名で書ける掲示板は、色んなことに利用されていいと思います。挑発でもディベートの予行演習でもいいじゃないですか。私には、どんな方の、どんな応答でも役に立っています。歓迎しています。もちろん、忙しい時は返答は何日も延ばしますので、支障はありません。

 内容的にはどうですか?私が「ドナー不足は移植医の扇動用語であるとともに、医師の義務を想起させる言葉でもある」の段落で書いたことは、医療の中における臓器移植の位置付けを考える上で重要な指摘と思いますが。これに、まささんが返答できたら、単なる挑発のレベルを超えて、有意義な応答ができる人だということでしょう。
 

以上は、新着順1番目から30番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  |  《前のページ |  次のページ》 
/7 


[PR] コンタクトレンズ