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臓器移植、脳死などバイオエッシックスのトピックにおいてポジションで発言する場合、西洋のディスコースでは、キングス・カレッジ・ロンドン(KCL)のブランズワード教授が名づけた「バイオエシックスの三角」(the bioethical triangle)関係を意識します。つまり功利主義、権利基調、義務基調のポジションのことです。これは思考のフレームワークの基本で、森村進教授の「権利と人格」(創文社刊)なども応用倫理を学ぶには非常に参考になります。
この6月にブラウンズワーズ教授と昼食をご一緒した時、日本における臓器移植の状況を聞かれたのですが、日本では去年臓器移植法が改正されたことや、権利基調にこだわる「脳死議論」、制度の不備、発展的議論の停滞などを説明しておきました。その際、先の「三角関係」に触れて、彼は「When we have applied the three positions, we will not have a clear answer to the questions but we can understand more precisely where the rival answers are coming from.」(三つのポジションを応用すれば疑問に明晰な答えはでないだろうが、ライバルの答えがどこから来るのかについてはもっと正確に理解できる)とおっしゃっていました。要するに、バイオエシックスのトピックについて自分の考えを表明する場合は、ライバルの考え方を聞いて理解することは必須だということで、私はこれを当たり前のことと考えていました。それゆえに、トライアングルのフレームから見て、この掲示板には「功利主義」的議論が皆無なので、まず功利主義的ポジションで少し意見を述べ、権利基調のポジションの人からご意見を聞きたいと思ったのです。そして次に義務基調のポジションで、たとえば、コミュニティ論から解答を探したいなあ・・と先を期待したわけです。
残念ながら、「たかはし」という常連投稿者から、
> 以後の「まささん」の投稿に対しては、「無視」が得策と思いますが、
> 如何でしょうか。
という、突然、唖然となる提案が登場して、かなりあきれています。「無視」というのは、中学や高校の程度の低い生徒がやる一種の「いじめ」で、この種のことを森岡正博教授が主宰される掲示板で何の恥じらいもなく、堂々と書ける無神経さに苦笑しています。「たかはし」さんは、非常に思い込みが強い方のようで、私について憶測でのみ一方的に書いておられます。いくつか指摘しておきましょう。
> 彼女はわたしたち「臓器移植反対論」に対して、真面目な、
> 真剣な議論をしようとしているのではなく、
私は女性ではなく「男性」です。また私が発信した二度の投稿のどこに「真剣な議論をしようとしているのではなく」と言える箇所があるのでしょうか。「真剣」だからこそ、礼を失わないように、もりけんさんに質問をしているのですよ。
> 「功利的な概念」、「死んだも同然の人」、「車使用反対論者」、
> 「移植で救われた人は世界に溢れている」、
> 「移植を無くすれば、年間何万人単位の死んでゆく」と言うような、
> 挑発的な言葉を投げつけて、議論を混乱させて>>
私が使用した言葉のどこが挑発的言葉なのでしょうか。表現も普通ですし、事実を述べています。実際、功利的なポジションから見れば、「臓器移植反対論者」の結論は、脳死患者と移植待機患者の両方を死なせることになるわけで、この悲劇に目をつむることはできないでしょう。
「最初は・・・」からのパラグラフで「たかはし」さんは、私を海外に移植を求めて募金活動による臓器獲得を善意のもとで行う「臓器ツーリズム」の賛成者とみなしているようですが、私は「臓器移植の互恵性」(Reciprocity in Organ Transplantation)の観点から厳しく批判する立場にいます。こういう憶測を述べられると非常に迷惑します。先週は非常に忙しく、反論や説明をする時間がとれず、「そうだそうだ、たかはしさんの言う通りだ」と簡単に思いこんでしまう第二・第三の「たかはし」さんが現れるのではと思うと、こうした掲示板で意見を発表すること自体、非常に危険に思いますし、億劫にさえなります。不慮なことに、何か私に取り込み事があって、この掲示板をしばらく見ないということもあり得るわけで、反論もできず、「たかはし」さんの憶測記事にさらされたままになります。憶測を述べる前に、どうして私に直接質問をされないのでしょうか。聞けば済むのに、それを怠り、憶測を垂れ流す書き方はこれだけでなく、「挑発的な言葉を投げつけて」「「炎上」を惹起させようという意図が、透けて見える」という表現にも見られます。しかし、実際、私にはその意図がまったくありません。・・・長くなりますので、あと一つ。
> 友人が移植で救われた事に対する喜びは、
> 溢れるばかりの言葉で表現されていたが、
> 臓器提供者に対する気持を表した言葉は「一語」も無かった。
この文章は、「まさという女性は、人の気持もわからない、冷酷で、配慮もない人間として性格に欠陥がある、臓器移植賛成者はこのような冷たい、人の温かみもわからない人たちなのだ」と決め付けている・・・と理解するのが普通でしょうね。哲学者のジャンケレヴィッチは「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」を定義することで、関係の中の死を概念化、応用しました。二人称とは、肉親、恋人、親友、知人など心情的・精神的に親密な関係があった人たちのことで、二人称の死は当事者にとって大きなショックとなります。私の親友が心臓移植によって「二人称の死」を免れたことは、私にとってとりわけ印象的なことだから、文章にしたわけです。何か問題がありますか。私に配慮がないというのでしたら、臓器移植反対論者の「たかはし」さんは、待機名簿上に載って死と向き合い偶然的に配給される臓器を待つレシピアントに対する気持を表した言葉は、当然、ご自分の過去の投稿に記述されているのでしょうから、ちょっとこの掲示板にご紹介していただけませんか。
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