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「臓器移植ってさ ほんとうは誰に移植されるのか
教えてもらえないことになってるだろ?
どうしてその規則があるのか 今回のことでよくわかった
知っちゃいけないし…… 知らないほうがいい
……逞(たくま)だってさ 絶対そう思ってるよ
だってアイツ あれ以来 全然見舞いに来ないじゃん?」
(「僕の初恋をキミに捧ぐ」青木琴美著、小学館フラワーコミックス、2008年、第11巻、p.17)
今、臓器移植を取り上げた漫画を二冊、読んでいます。
一冊は、上記の「僕の初恋をキミに捧ぐ」で、心臓移植を取り上げています。
もう一冊は、「新ブラックジャックによろしく」で、腎臓移植を取り上げています。脳死についても触れていますが、生体移植について、鋭く切り込んでいます。
どちらも、移植医療の問題とは、人間関係の問題なのだと感じます。
テレビでは、きのうの夜10時からNHKで放送された、ヒューマンドキュメンタリーで、心臓移植の待機患者3人を取り上げた番組を見ました。
人工心臓で生きている、60歳代の男性。
(移植待機患者として登録したのは、60歳になる一週間前)
もうひとり、20歳代の男性。
彼も、以前、人工心臓を付けていましたが、人工心臓は、血栓ができやすく、そのために、脳梗塞が起こってしまいました。半身不随になったのですが、リハビリテーションでほとんど回復しました。でも、左手は麻痺したままです。その後、彼は、人工心臓をはずしました。でも、待機期間が長引き、また、人工心臓を付けなければならなくなるかもしれない……
60歳代の男性も、やはり、人工心臓に血栓ができて、脳梗塞になりました。幸い、処置が早かったので、助かりましたが、軽い麻痺が残りました。
人工心臓を付けていると、20歳代でも、脳梗塞になってしまうとは……
脳梗塞の症状を見て、私は、母のことを思い出さずにはいられませんでした。
母が最初に脳梗塞の発作を起こしたときには、まだ、70歳代のはじめでした。左半身不随になったけど、リハビリテーションを続けるうちに、幸いにして、ほとんど回復し、日常生活が普通に送れるようになりました。
けれども、それから数年後、二回目の脳梗塞の発作を起こした後は、重い麻痺が残り、右手が動くだけです。それも、自由に動く、とは、言えません。言葉も、自由にしゃべることができる、とは、言いにくい。しゃべるけど、なかなか、しゃべらない。リハビリテーションのときに、「痛い」というのが、一番元気な声が出ます。でも、それしか、言葉が言えないわけじゃない。何かのおりに、「だいじょうぶ? だいじょうぶ?」なんて私が、心配してきくと、「だいじょうぶや。まだまだ死なへん」などと、ちゃんと、しゃべってくれます。
しゃべることがあまりできない。だから、口から物を食べることも、飲み物を飲むことも、できない。
胃婁に頼っています。
テレビで、人工心臓を着けている患者さんと、胃婁を着けているうちの母とが、だぶって見えました。
口からものを食べられなくなったら、そんな人生、生きてる意味がないだろう。
そう思っていたが、実際にそんな人々を毎日介護していると、そんな人でも、
そこに生きているだけで、家族にとって励みになる人もいるのがわかった。
と、いうようなことを書いているブログを見つけて、
そうだ、そのとおりなんだ、
と、私は、思いました。
そう、コメントを付けようかと思ったけど、なんだか、恥ずかしくてできませんでした。
胃婁でしか、栄養分も水分もとることができない。
かわいそう……
でも、それでも、話をしていれば、うなずいてくれたり、首を振ったり、
ときには言葉もしゃべったりして、うちにいた元気な頃と同じように、
まあ、まったく同じとはいかないけれど、喜怒哀楽がある。
何度か、命が危なくなった後に、今の、落ち着いた状態がある。
こうなってみると、それなりの生活がある。
NHKの番組では、人工心臓を着けている60歳代の男性が、
隅田川の花火を夫婦で一緒に見て、
元気な頃は、こんなことはしたことがなかった。
今、こんなふうになってこそ、初めてできた。
と言っていました。
私も、母が入院して、初めて、病院の窓から、夏祭りの花火を見たけど、
うちにおった頃には、どないしても見ることができなかった特等席のいい見晴らしでした……
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